ゆとりんのゆとり夫婦生活

ゆとり世代で夫婦やってます。大企業役員候補から一転、IT企業転職や日々の料理や夫婦生活での考え方など発信しています。

ゆとりんのプロフィールだよ

 

どうも、『ゆとりちんかゆ新婚ブロガー』のゆとりん(@yutorin_rin_)です。

変な肩書きついてるけど、お前何者やねん?

そう思われたあなた!

興味を持って頂き有難う御座います。

どうぞ読み進めて見てください!

[voice icon=“https://yutorin-rin.com/wp-content/uploads/2017/04/cropped-IMG_5112.jpg” name=“ゆとりん” type=“l”]どうか最後までお付き合いください![/voice]

 

生い立ち

平成生まれ。血液型O型。愛知県生まれ。

テレビっ子。バラエティとスポーツしか見ません。

お笑い大好き。

食べるのも大好き。料理男子。

担々麺・カレーが好き。

めんどくさい事は嫌い。無駄が嫌い。

↓鶏がらスープから自作の完全オリジナル担々麺。

 

 

活発な幼稚園時代

ドッヂボール事件

明るい・元気一杯の幼稚園児であった僕。

年長のバレンタインデー前日。体育のドッヂボールの時間。

元気一杯に投げたボールが好きだった子「ゆりちゃん」の顔面に

 

なんと

 

クリーンヒット。。

 

 

20年経った今でも覚えているくらいだから、よほどの衝撃だったのであろう。

幼稚園児にして、初めての人生終わったである。

調子にのるとろくなことがないことを学ぶ。

 

次の日バレンタインデー当日、しょぼしょぼと出園。

流石の僕も意気消沈中である。

ところが意外にも、僕の元には十数人の女の子が。人生最大のモテ期を経験する。(結果として、最初で最後であった。。)

 

そして加えて、「ゆりちゃん」がチョコレートを持って僕の元に。

左ほほは少し腫れているにもかかわらず、だ。

 

僕の人生はここから始まったのである。1日にして。

めでたい奴である。

 

こんな恋に感情をコントロールされる僕は、父親にもコントロールされていた。

オーレンジャー事件

父親の友人が集まるパーティで、「行け行け!」と数十人の大人の前で、

当時流行っていた戦隊モノ オーレンジャーの主題歌を歌わされたのである。

恥ずかしさのあまり顔は真っ赤っかであったそうだが、僕は全く記憶がない。

 

幼少期より、都合の悪い記憶は忘れる人間であったことを認識する。

 

 

地元じゃ負け知らずな小学校時代

自我の芽生え

活発で運動もでき、公文式に通っていたためか勉強もできた僕は、元祖地元じゃ負け知らずであった。

この頃から自我が芽生え始めた。

 

高学年の時、環境問題に関して、低学年の子にプレゼンする授業があったのだが、

皆、大気汚染・水質汚濁など、例年通りのテーマで6人グループで発表準備を進める中、

僕は友人と二人で、環境ホルモンという謎テーマを選択。

例年にないテーマのため、図書館にこもり本を読み、環境ホルモンの影響でオスからメスになるカエルの人形を自作。

珍しいテーマ・変な人形の効果であるという影響もあり、類を見ない大盛況。

 

プレゼン終了後、人形が欲しいと群がる低学年児に対して、

「二人で頑張って作ったからあげない!」とブチギレる大人気ない友人の顔が今でも浮かぶ。

 

この経験から、物事はコントロールされるよりする側の方が面白いということを感じるようになる。

 

とはいえ一方、父親からのコントロールの呪縛からは逃れられずにいた。

刷り込まれた中学受験

医学部進学率が高く、地元で一番の進学校出身であった父から、

いい人生を送るにはいい職へ、

いい職につくにはいい大学へ、

いい大学に行くにはいい高校へ、

いい高校へ行くにはいい中学へ行くことを小さな頃から刷り込まれていた。

 

ある日、「どうだ中学受験してみるか?」と聞かれた結果、「やりたい!」と回答。

そりゃあそうでしょう、いい人生のためにはいい中学と価値観が形成されているから。

 

結局、もともと勉強が得意であった僕は、塾の先生にも恵まれ、第一志望の中学に合格。

父親の思惑通りに事は進んでいくのであった。

地元じゃ負け知らずがここまでだとは知らずに。。

 

 

暗黒の中高一貫校時代

とにかく暗かった時期

人生順調に進んで来た僕だが、初めての挫折経験をする。

地元で負け知らずであった僕だが、進学校にはそんなやつらが大集合しているのである。

運動では補欠、勉強も頑張ったとしても真ん中くらい。

一気に神童から凡人に格下げである。

 

この頃は本当に自分に自身がなく、存在価値があるのか模索していたように思う。

 

頑張ってもしょうがない。

端っこにおればいいか。

 

決して友達がいないわけではなかったし、楽しくないわけではなかった。

それでも何か、ずっと晴れない学生生活であった。

 

この時期初めて彼女もできるのだが、こんな自分が触れてしまうと彼女が汚れてしまう。。

と考えてしまい、1週間で別れてしまった。

まさに自己嫌悪モンスターである。

 

さらにひょんな事から、両親が当時珍しい授かり婚夫婦であることを知る。

もしかして僕って、必要とされて生まれたわけじゃない・・?

そう思い出してからは、今まで以上に存在意義を見出せず、家族に対して壁を作り、

自己嫌悪にさらに拍車がかかった。

 

 

そんな自分にも大学受験が迫って来た。

このイベントがさらに自分を苦しめることになるのだが、一筋の光が差し込んだとも言えた。

 

苦しく長い大学受験

自分はこの家で存在価値がない。

もうコントロールされたくない。

とにかく家を出て、一人暮らしがしたかった僕。

その時提示された条件は、国立大学に合格すること、であった。

なんとなく東京に出てみたかった。

高校2年生の時、どの大学に行こうかと東京見学に行った時に、一橋大学と運命の出会いを果たす。

国立駅からの景色。春は通り一面に桜が咲き、本当に綺麗である。

国立の街並み、校舎の温かみ、選ばれし少数精鋭の生徒。

どれも僕が憧れるシチュエーションであった。

雰囲気に惚れ込み志望校が決まった。

頭は良くなかったが、コツコツと勉強を続けていた僕。成績は上位半分にギリギリ入っていたので上位クラスにいた。

 

そんな高校3年生の4月に模試の試験を受けた。

結果は、偏差値40。もちろん合格判定も最低のE。

衝撃であった。

神童と呼ばれ、地元で一番の学校に入って、まあまあの成績であった僕が。

偏差値40。

悔しくてちょっと泣いた。苦しかった。

 

第一志望の一橋大学は偏差値70を超えている。

遠すぎる道のり。無謀な挑戦。

それでも合格できたら、この家から出て行ける。

嫌いである自分を少しは認められるのではないかと一歩ずつ歩み始めた。

 

合格するための戦略作り。

朝4時に起きて勉強。(気持ちが悪くなり朝ごはんが食べれずやめたけど。笑)

大好きなテレビを断ち、平日は家に帰ってから6時間勉強しなければ寝ない。

夏休みに1週間勉強マラソンと称し、100時間勉強達成。

髪を切りに行く時間が勿体無いと坊主にもした。(プリズンブレイクのウェントワースミラーみたいになると思ったが、全くならなかった。笑)

 

受験勉強の正解はわからない。

とにかく試行錯誤を繰り返した。

当時は本当に追い込まれ、実家の壁は穴だらけだ。

ストレスで股間をかきむしる癖がついたのもこの頃だ。笑

ちんかゆ高校生の誕生である。(以降10年ほど経つ今でもまだ症状は治っていない。)

 

そんな必死な勉強も虚しく成績が出ない間は、同級生からは「いつ志望校変えるの?」「え、そんなこともわからないの?」と心ない言葉をかけられたこともある。

元々頭がいい生徒が多く、下位クラスの奴がごぼう抜きしていくのを目にしたことも一度ではない。

それでもただ自分を信じ、自分を救うために努力を続けた。

その結果、数学では学内文系一番。11月の模試では初めてのD判定。結果が出始めた。

 

その後も努力を続け、自分なりに正しい戦略を持ち、量をこなした結果、大逆転ギャイアントキリング奇跡が起きた。

現役での合格だ。

僕より先に母親が泣き崩れた。

泣くタイミングを完全に失った僕。

なんだか拍子抜けではあったが、自分のことに涙を流す母を見て、

意外と自分って愛されていたんだと安堵感に包まれたのを今でも覚えている。

 

英語の勉強でお世話になっていた担任の先生に電話した時も、「やっぱり受かっていたのか。今日お前が合格する夢を見たんだよ。」と言われた。

同級生からも、「合格おめでとう。普通にすげえわ。」と言われた。

 

この経験から、周りからバカにされても、途方のない目標でも関係ない。

試行錯誤しながら、自分の軸に従って努力を続ければ、周りの評価も変わり、結果が出ればひっくり返せることを学んだ。

この考え方は、今でも自分を支えてくれるものとなっている。

ただ、ちんかゆは治ることなく大学へと入る。

 

 

順調な大学時代・社会人時代

念願の一人暮らし。

自分で自分をコントロール出来る、大学の4年間はただただ楽しかった。

受験の反動か、勉強は全くせず、サークルに遊びにとひたすらに遊んだ。

自分を認めてくれる大切な仲間もでき、自己嫌悪病も無事に完治。

家族と離れたことが幸いしたのか、程よい距離感で家族仲も回復した。

 

就職活動では、当初広告業界やテレビ業界を志望。

しかし、寝る時間がない、家庭に時間を避けないという理由で断念。

ゆとりの始まりである。

 

最終的には第一志望群の大企業に分類されるメーカーから内定をもらい無事に就職終了。

最終面接で大学時代に後悔していることは?という質問に、

「勉強してこなかったことです。」とドヤ顔で答え、

大爆笑をとった学生は後にも先にも僕だけであろう。

 

 

そんな僕は、会社に入ってからは、精神的にきつい出来事もあったものの、

周りに支えられながらスキルをあげ、役員候補生と言われるまで順調にステップアップ。

若く可愛い嫁ちゃんももらい、それなりに順調な人生を歩んでいる。

ゆとり夫婦の誕生である。

 

ただ、ある程度満たされてくると、「それなり」の人生でいいのだろうか?という自問自答が始まる。

このまま定年まで同じことの繰り返し?

ずーと会社にコントロールされていていいの?

そもそも会社に依存しているだけで、夫婦二人幸せになれるのか?

自分のやりたいことってなんだろう?

また股間をかきむしる日々。

そのように悩んでいた時、ブログというものに出会った。

 

 

ブログを通じて

今は当ブログただ一人のファン「嫁ちゃん」に喜んでもらおうと記事を書いている。

嫁ちゃんからすれば、僕はかなり文才があるらしい。

小説書いたら売れるらしい。

ここまでのせられれば、書き続けてみるしかないでしょう。

 

そんなファン1名状態から、徐々に僕らと気の合うファン、特に同世代のゆとり仲間が集まってきたらいいなと思っている。

そして、将来的には会社以外の1大コミュニティを持ちたい!という軽い野望を抱いていたりもしているのだ。

進学の度に交友関係を断ってきた僕なので、本当に気の合う方だけのコミュニティをね!

 

1大コミュニティを持つというのは、数百PVの当ブログにはまだまだ途方もない目標である。

ただ、試行錯誤しながら努力を続けていこうと思う。

結果出せば評価なんてひっくり返ること知ってるもんね!

 

さて、今一ヶ月ほどブログをしているが、リアクションをもらえると素直に嬉しい。

出来ることも少しづつ増えていく。

これはこれで、なんか人生前に進んでいる感じがする。

ゆるく継続し、それこそ小説にでもなってくれれば人生面白いもんだなあと思う。笑

 

 

 

僕は今、可愛い嫁ちゃんももらい、人生順調幸せ状態である。

コントロールされるより、する方が楽しい。

その価値観の元、幸せをコントロールする側に回るため、ブログで発信し、

収益源を増やし、コミュニティも増やしていきたい。

 

以上、ゆとりん紹介でした。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

ここまで読みきったあなたはもう立派なファン!!ですよね??

これからも是非是非購読してください。よろしくお願いいたします!

 

 

 

 

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